平成6年12月21日(水)の晩、私は神戸国際会館のホールに立っていた。大勢の合唱団員とオーケストラと一緒に、「第九」を歌っていたのだ。久しぶりにステージの上でスポットライトを浴びながら歌う喜びを噛み締めていた。そして、これが私が神戸国際会館ホールで歌う最後の演奏会となった。
その年の4月に新しい職場に異動して、新しい仕事に取り組み始めていた頃、仕事の関係の方から、年末に「第九」を一緒に歌わないかと誘われた。学生時代に合唱団に入っていたこともあり、特に断る理由もなかったので、その誘いを受けて、参加することにした。何回か仕事帰りに練習にも参加して、いざ本番。やはり、オーケストラと一緒に演奏するのは気持ちがいい。他のメンバーと一緒になって声を張り上げて歌う、指揮者の指示に従って、フォルテにしたりピアノにしたり、表情をつけながら歌い、最後は大いに盛り上がって終わり。演奏の出来不出来はともかく、感激した。とにかく、気持ちよかった。最高だった。
しかし、まさかその1か月後に、国際会館があのような姿になるとは思いもしなかった。震災の何日か後になって、現地へ行ってその惨状を目にした時は、何も言葉が出なかった。あの感動は、感激はどこへ行ってしまったのか、あのお祭りのような高揚感はどこへ消えてしまったのか、もうここで歌うことはないのだろうなと思うと、すごく悲しく沈んだ気持ちになった。それ以来、私は歌っていない。
そして今、あれから30年、国際会館は新しい大きな建物として蘇っており、中には前にもまして素敵なホールができている。上の階には映画館もあり、最近は私はそちらへよく通っている。つい先ごろも、令和7年1月4日、映画館でリッカルド・ムーティ指揮のウィーンフィルの演奏による「第九」を聴いてきた。歌う側ではないが、歌詞を頭の中で誦じながら、しっかりと鑑賞してきた。そして、ふと30年前のことを思い出したのだった。「第九」が、私の中で昔と今とを結びつけてくれたのだ。
神戸の街も30年かけてここまで復興してきた。私自身も同様に、30年間歩んでくることができた。その背景には、それまでの歴史というものがあり、その歴史を次代へと継いでいくことが、私たちが生きるということなのだろうと思う。これからも、そうやって生きていこうと改めて思う。
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